和歌山なんとかしちゃらなあかん

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和歌山県紀の川市貴志川町の歴史について

どうも。

今日は、だいぶマニアックな話です。
自分が育った土地の歴史についてです。

おじいちゃんが80歳をこえてから、
先はそんな長くなくなってきて、
ぼくはどんな歴史の経て、今生きているのだろうか、ということが気になりました。

今ぼくの住んでる、紀の川市ですが、
2005年に合併した市です。
合併する前は、貴志川町という町でした。

そして、その貴志川町というのは、
4つの村が合併した町でした。
西貴志村、中貴志村、東貴志村、丸栖村が合併したのは、1955年でした。

その貴志川町の歴史という、
すごいニッチな本を開きました。

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内容としては、1980年代のお年寄り、
つまり、
大正や明治生まれの人とかに話を聞いて、それを整理してまとめた本です。


100年後、みんな死んでるとはいうが... 

本を読んでみて、貴志川町に、100年前からあるものは、
貴志川と、鉄道と、小学校と郵便局だけのようです。

たった、これだけです。
時のながれですな。


鉄道は、今では世界的に有名になった
和歌山電鐵貴志川線ですね。

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貴志川地域では、昔から農村で、
第二次世界大戦中は、
大阪から疎開した子どもを受け入れていました。
(東貴志村)

当時は、都会では食料が不足していたので、
和歌山市や大阪で、米や野菜が高値で売れたそうです。
ただ、戦争末期は食べ物がなく、
小学校の校庭で、さつまいもを栽培する状態でした。
 
 


貴志川町の誕生


貴志川町として、合併するきっかけになったのは、
1953年7月18日に起きた、水害でした。
ぼくの今住んでる、川沿い一帯は壊滅的な被害を受けました。



それで、近隣の4つの村が協力する必要が出て、
和歌山県からの後押しや、
村長同士の人間関係が良好で、
合併という運びになったようです。
 
 

産業について

 

農業

 

・米

古墳が町のいたるところにあり、
古代から稲作が行われていました。

・いちご
今でも、紀の川市のなかでも、いちごを主要な農産物として推しています。
歴史としては、意外に浅く、
1966年ごろから栽培をしています。

その他、時代に合わせて、
菜種油、桑、タバコ、スイカ、柿、みかん、はっさく、桃などを
生産していました。

うちのおじいちゃんの家でも、
八朔をつくっています。
 
 

商業

・綿織物
江戸時代からつくっていて、
良質なものとして評判はよかったようです。
1897年ごろに外国製品との競争に負け、衰退しました。

・養蚕業
明治時代から行われていました。
桑畑も作られていたようです。

その他、
西山に鉱山があったようです。

貴志川町の商業として、
特徴的なこととして、
商店街がなかったことです。

理由としては、
山にかこまれた地形で人が流入しにくいこと、
神社や寺の宿場町として発展しなかったこと、
鉄道の開通が比較的おそかったこと、
などがあります。

この本の中で、ご老人が行く先を心配されていたのですが、

その30年後の現在は、
スーパーや薬局やホームセンターやパチンコ屋が集まった、
中心街が形成されています。

安心してください。


 

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なかなか、地元民じゃないと、
いや、地元民でも興味がわかない内容でしたがお読みいただいてありがとうございました。

それでは