他人の影響からの自由

 

今日の話は、とても抽象的です。

 

 

 

何の考えからも自由な気がする。

自分の考えは、自分のものな気がする。

 

もちろん、何からも自由なんてありえない。

もちろん。

 

ただ、ニート生活をはじめて思うのは、

会社や仕事というのは、

それほど自分の考えを制限するんだな。

 

そして、

今は、テレビも本もあんまり見てなくて、誰かの思考に引きづられて生きているという感覚がない。

 

影響を受けたものがあっても、自分のものにしている。つまり、自分のものに消化している。

 

そんな感覚である。

 

というのは、

自分で話している言葉は、どうしても、

普段から接する会社の人や友人の言葉を引用してしまう。

 

自分の言葉に消化しきれてないから、「引用」と使った。

言葉の拝借ともいえる。

 

その自分の言葉でない、「引用」した言葉を使うと、どうも言わされた言葉みたいで気持ち悪い。

 

だけど、今は、

他人の言葉を「引用」しているという感覚がない。

 

人と会うことが少ないから、

(友達が少ないから、)

すべて、自分の言葉で話しているという感覚。

すべて、他人の言葉は消化されているという感覚。

 

これは、この先の人生でも、なかなか得られない感覚だと思う。

 

 

 

さて、今、目の前には、本がある。

それを開いて、自分の脳に入れ込むと、自分の言葉でない、他人の言葉が輸入される。

 

 

 

これからは、しばらく縁のなかったものを輸入しよう。

 

本で言えば、小説や学術書。

映画で言えば、ハリウッド的なもの。

アニメで言えば、スラムダンクやナルト。

 

ちょっとずつ、自分が変わっていくのがたのしみである。

 

ただ、「消化良好」だった自分と別れてしまうのが、すこしさみしい。

 

それでは