25歳を迎えるにあたって

こんにちは。
バイ生活も、やっといろんなことに慣れてきて、
体力的にも、精神的にも少しずつ余裕が出てきて、
アウトプットができるようになってきました。

環境を変えるというのは、
本当に負担にかかることだなと改めて思いました。


25歳になりました。
感慨深さというのはまったくなくてですね、
歳をとるごとに自分の誕生日に対する関心がなくなってますね。
それでも、この一年はどうだったか、これからどうしようとか、考えるきっかけになりますね。

24歳になったときも同じだったのですが、
ある課題に直面しておりまして…
コミュニケーション能力ってやつです。

おもてなし、思いやり、配慮とかそういうやつです。
とても日本的なやつです。
ビジネス的な愛想のよさというか、
礼儀として、気を利かせるやつです。

 

日本人として生きていく限り、
大事ではあるんですけど、 
人と感性が違うというか、
常識がないというか、

 

まあ、そんなに配慮とかなくてもいいやろ、生きていけるやろ、
と後回しにしていました。
そのツケが回ってきたというか、なんともならんところまで来ましたな。


ふつうに振舞っているつもりでも、
失礼にあたるというか、損しているようなので、
表面的なところからでも、愛想よくしていこうと思います。
そして、いつの間にか、表面的な愛想の良さが自分自身になるみたいな、
ミイラ取りがミイラになるみたいな、感じになるといいですね(笑)

たぶん、この言い回しはおかしいですね。
いずれにしても、人よりも話すのが下手くそで、
他者に想像力が働かなくて苦労してます。


ああ、このままだと、
仕事というのは、僕には向いてないもので、
これから生きていくのは大変だなと思います。

努力はしますが、気の利くやつになるのは元からセンスみたいなものがあると思うので、失礼なやつから、ふつうのやつになれるように頑張ります。




少し違う話をしますかね。


この頃は、思い出が、
補正されて良き時代だったように思えることがあります。
1990年代、2000年代。

夢とか、
日中のふとした瞬間出てきます。
フラッシュバックってやつですかね。

 

いい部分を思い出すのは、
あの頃に帰りたいと、どこかで思っているのかもしれないけれど、
もう失われた、もう戻れないということに、とても強い感情を抱くだなと思います。

例えば、
あの町の風景がなくなってしまったとか、
あんなに毎日会っていたのに、もうみんなが揃うことはないとか。

この歳になって思うのですが、
本当に、世の中は移ろいやすくて、
諸行無常なんだなと思います。


でも、
幼い頃は、
夢もなかったし、自分がどうなってしまうのか不安だったし、
車を運転したり、買い物をしたり、そんな基本的なことを、
将来の自分にできるのか、と先の見えなさに不安だったのは、はっきりと覚えています。

 

高校生までは、恥ずかしさとか他人の目とかを気にして、
もう一歩踏み出せなかったり、
ちょっと調べればわかるようなこととかで困っていたな。
今みたいに、FacebookTwitterInstagramもなかったから、
他の人が何を考えて生きていて、何をしているのか、わからなかったな。

 

一方で、だんだんと生きるのが上手になってきて、
ある意味かしこしくなってきて、
自分にできることやできないことの分別ができるようになりましたね。


それでも、25歳になっても、
先に対する、不安はまだあって、
でも、幼い頃に比べると、なんとかなるやろうという余裕がありますね。

さて、これからどうなるんですかね。
18歳のときに、このままだと自分はやばいと思って、
和歌山を出て、転々としてきて、外に何かをずっと求めていたなと思います。

結局、外から何かを与えられることを期待しているだけでいけなくて、
自分から何かをしたり、自分から与えたり、
何かめんどくささとか、責任を引き受けて、生きていかないと、
何にもならないな、と思います。

なんだろうな、抽象的ですけど、
ただ一つ言えることは、

まだしばらくは、生きていかないといけなくて、
そのために、自分はどう生きていくかってことですね。



昔のいい思い出って書きましたけど、
もちろん、よくないこと、黒歴史も思い出します。

何か読んだのですが、
昔の思い出が昇華されて文学や映画やら、いろんな作品になるそうです。
なので、そろそろ僕もアーティストになるべき時かもしれません笑

 

しょうもないこと言いましたが、
このへんで
それでは