和歌山なんとかしちゃらなあかん

和歌山を大いに盛り上げるためのブログです。

君の名はみてきました

どうも。

 

このエントリーは諸事情があって、しばらくは公開はできなかったのですが、諸事情を考慮しなくて済んだので、書きます。


「君の名は」みてきました。

ストーリーの大きな筋書きは大衆向けの青春系のアニメ映画って感じでした。
まあ、そんなにアニメも映画も見ないのですが、そのように感じました。

 

そんな中で、僕の心をとらえてしまったのが、


田舎と都会の対比

 

ストーリーの大きな流れにはそこまで関係ないのですが、設定とか、細かい背景や描写が気になってしまいます。


自分も住んだことがある、眺めたことある東京の風景。

 

ただ過ぎ去った、なんてない風景の一部を見ただけなのに、たった1年間しかいなかったのに、

とても懐かしかった。

 

そして、自分はもうあそこにはいないのか、と思って、悲しくなった。


主人公が都会に憧れる姿

外の世界がいいものだと憧れる姿とか、

 

郷愁とか、哀愁とか、感傷とか、そういう気持ちがこみ上げてきました。

センチメンタルとか、ノスタルジーとかいうのかな。

 

本編と関係のないところで、自分の中ですごく盛り上がってしまって泣きそうになりました。

  

振り返ってみると、

実際、自分が都会に憧れていたかというと、それはなんだか違うような気がしている。

 

高校生の頃は、この先ずっと、和歌山で生きて、親と依存しながら生きていくことは、ダメだと思った。

 

永遠に両親に囚われて、顔色をうかがって、自立できないまま生きていくんじゃないか、という気持ちになった。

 

その高校生の頃は、

何がしたいのかははっきりわからない。

何を求めているのか自分でもよくわからない。

 

けれども、外に出ないといけないというのははっきりしていた。

 

「何かをずっと探していた」という本編のテーマの一つとこの感情は少しは関係がありそうな気がするのはいかがでしょうか。

 

 

映画をみてからしばらく経っているので、記憶が曖昧なところはありますが、「何か」を探している気持ちにも非常にこみ上げてくるものがありました。

 

これも意図とずれているかもしれませんが、自分が勝手に感じてしまったことです。

 

地元を離れたいと思い、実際そうした人には、

自分のいる環境に外に何かがあるはずだと求めているのではないでしょうか。

 

外に出た結果、元々いた場所にあった価値に気づいて、それにとらわれてしまう。

 

そんなふうに生きていくのか、常にいろんなものが移り変わっていくのに、昨日と明日が同じであるように感じながら人は生きていくみたいな。

 

そんな諸行無常さを、僕はこの映画をみて感じていました。

 

 

そんなところです。

それでは