読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

和歌山なんとかしちゃらなあかん

和歌山を大いに盛り上げるためのブログです。

自分の才能が平凡だと気づいたとする

一日中ごろごろしてる方がよいのですが、 

やはりずっと部屋で一人でいると気が滅入るので、

なんでもいいから、外に出るというのが、週末の過ごし方です。

 

暑いけども。

40℃を超えるのが当たり前。

かといって、暑いを言い訳にしたら何もできないのです。

 

 

はい。

今日のテーマ、才能。

みなさん、才能ありますか。

あふれてますか。

 

さっそく、結論としては、

才能がないから、できることやりましょうってだけなんですけども。

 

 

 さて。

 

「才能」というと、

なかなか抽象的なところではあるのですが、 

生きていると、あきらかに才能がある人間に出会うことがあると思います。

私の人生の中でも、振り返ってみると、

 

あきらかな才能を感じた人間は、二人ほどいます。

一人はプロ野球選手になっていて、

もう一人は、意外に、普通にサラリーマンをやっています。

おそらくリーマンの彼は職業的ではない才能だったのでしょう。別なところで発揮しているのでしょう。

 

 

たとえ、あきらかな才能でなくても、「ああこの人は、持っているな」と感じることはあるのではないでしょうか。1年1回くらいあったりするのかな。

あまり、才能があるかどうかを意識しながら生活することはないですが、それくらいの頻度で起こっても不思議なことではないでしょう。

 

かくいう私の話になるのですが、

高校生くらいまでは、才能がある人をみると、とても嫉妬をしてました。

自分にできないことができる人を見ると、とても悔しかったです。

おそらく自分のことを過大評価していたのだと思います。

 

そうです。ここでお伝えしておくと、

私はまったくと言って、才能はない人間です。

言い切りましたね。

すこし、くどくいうと、

 

まったく才能がなさそうだということを自覚しているのですが、

何かどこかで才能はあってほしいな、と心のどこかで思っているのですが、

才能がないということを疑う余地はほとんどない。

 

ということです。

くどいですね。

要するに、才能はないとほぼ自覚しているけど、ほんのすこしばかり自分に期待しておきたいってところです。

 

才能がない、というのは自分を低く評価しているわけではなくて、

今まで生きてきた20年くらいの人生のなかで、すこしずつ確信めいてきたのです。

才能を探した結果ですね。

 

才能を探し。

もしくは、自分探し、あるいは、それに付随する青春的なもの。

だんだんと恥ずかしい文章になって参りました。

 

はい。

才能に嫉妬していた時期から、才能を探す時期に時は流れます。

 

 

具体的に言えば、大学生活。

才能を探す、最大で、最後のイベントだったと思うのですが、

なにをするにしても、あれは違う、これは違うと、

すぐに始め、すぐに辞めるということを繰り返していました。

熱しやすく冷めやすい、そんな時期がしばらく続きました。

 

その才能を探す中で感じたのですが、継続するという忍耐力が必要だなと。 

好きになったり、こだわったりする、ことも必要なのだと思います。

何にしても、その深みに中へ、ある程度入り込まないと向き・不向きなんてわからないということを、転々として、迷惑をかけながら、理解していったのだと思います。

 

自分にないものに嫉妬する時期は過ぎ、

自分の才能を探す時期は過ぎ、

自分にあるものを生かしていこうという、とても自己啓発的な結論にいたりました。

ありがち。

 

自分にあるものを生かしていこうと思ったのは、

大学生活の後半から、最近までの話です。

自分で意識している範囲で生かそうとしていることは、

英語と文章を書くことです。

 

才能というより、

続けることができたり、好きだったりするものですね。

こういうのも、よく聞くやつですけど、そうなものは仕方ない笑

 

英語については、今の仕事までつながってきています。

 

文章を書くことについては、趣味程度ですが、このブログ自体もそうですね。

人によっては、というレベルですけど、自分の書いたものを気に入ってくれる人はいるので、意識的にやっている甲斐はありますね。

 

でもまあ、あるものを生かそうとするって、

はいはい、よかったねっていう自己満足の世界なんですよね。

やっぱりどこかぬるさがある。

 

ということで、

最近の考えていること。

才能とか、そういうのものとは関係ないところへ。

 

「才能がなければ、努力をすればいいじゃない」

 

才能があるかどうかとか、向いているのか向いていないのかとか、ようわからんものに期待をするなら、

さっさと努力しなはれ、というのがこの頃の考え方です。

 

とても時間に追われる、サラリーマン的な考えだと思ってます。

目の前にある課題に対して、

やるかやらないか。

努力するかしないか。

 

才能という話には、努力の話がつきものですし、

才能がない人間が、才能がないと語る時は、努力を美談に添えるところがありますが、 

残念ながら、僕も少しは努力というものについて語らなくてはなりません。

申し訳ございません笑

 

 

もう、才能がないなら、

努力して才能に勝つ。

才能に勝てると信じる。

 

でも、まあ、たぶん、才能には勝てないけど、いい勝負がしたい。

そんなところ。

 

努力するにしても、

方向性、やり方、量、効率があるんですよね。

それらが、見合っているかはとても大事だと思います。

 

でも、努力をしてるうんぬんと語ってるときは、

言い訳してないか、何かから逃げてないかを考える必要があると思います。

これもとても自己啓発的なやつですけど、経験則です。

 

 

えーここまで、

 

才能に嫉妬する時期(高校生まで)

才能を探す時期(大学生前半)

持っている才能を生かす時期(大学生後半からつい最近まで)

才能より努力の時期(今)

 

と振り返ってみましたが、

 

①引き続き才能を探し続ける

②自分の今ある、才能らしきものを伸ばす

③才能とは関係ないところで生きていく

 

①〜③のそれぞれを行ったり来たりしながら生きていくんだろうなと思います。

なんとも抽象的なお話でしたが、お付き合いありがとうございました。

 

やっぱりこういう話には、このスピーチがぴったりですな。

それでは

 

www.youtube.com