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和歌山なんとかしちゃらなあかん

和歌山を大いに盛り上げるためのブログです。

自分は何のために生きるべきか問題

哲学・価値観

こんにちは。

更新を長らくしてませんでした。
これから仕事が忙しくなるので、次の更新のときも、「更新を長らくしていませんでした」ということになるのでしょう。


自分は何のために生きるべきか、問題。
さあ、なかなかヘビーなものですね。


どうですか、考えてますか?
僕は考えてませんでした。ある日飲み会に行ったら、聞かれました。
うまく答えることはできませんでしたが、その場では、彼がそれついて語りたかったようなので、事は進んで行きました。

それから数日後、
「あっ、やばい、頭から離れない」

ということになり、自分は何のために生きるべきか、を考えることになりました。
ふとした瞬間だったり、眠りに着く前にじっくりだったり…

まあ、答は出ないですよね。


そしてまた、平然をよそおって生活していきます。
どこか避けていました。
たぶん考えている時間が無駄な可能性があります。

いい答なんて出ないですよ。

そう考えるときは、疲れているか、お腹がすいているせいで、
わるい部分にしか思考が働かないので、
ご飯を食べて、お風呂に入って、さっさと寝ることにしています。

疲労も、空腹もないという条件で、よい部分、前向きな内容も考えることのできるという条件なら、サボりがちな自分を省みることができるので、意義があるかとは思いますが。

それにしても、自分は何のために生きるべきか問題とは。
何のために、何ってたとえば何よ?家族、友達、国、週末のビール?
1個だけ?10個あったらダメなの?


たぶん、問いを言いかえたり、分解したりすると見え方が変わってくると思います。

考えてみたのですが、無理ここでこうあるべき、と宣言することはできなくもないですが、別に僕のこうありたいとか、はっきり言って、ほとんどの人にはどうでもいいことじゃないですか。

あと、こうあるべき、と自分を縛りたくはないですね。

なんとなく、自分の中でこうありたい、こうありたくない、という分別はできるのですが、明確な、具体的なものはないですね。

こうあるべき、と決めてかかると経験上、毎日が楽しくなくなるので、決めないようにしているというのが結論なのかもしれません。

こうあるべき、と決めてかかっても、自分の成長や変化というのは、自分が思っているよりもとても遅い、ゆっくりとしたものですから、焦って心を痛めるだけかなというのが持論です。

こういう自己啓発的な文章よりも、もっとしょうもない日々の中で感じたことを書きたいな、と思いました。

おしまい