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和歌山なんとかしちゃらなあかん

和歌山を大いに盛り上げるためのブログです。

大阪から東京へ(遺された言葉)

こんにちは。


組織について考えることが最近多いです。

組織に属すると発生する責任というものをどれほど自分事と捉えるかってなかなかむずかしいラインが存在するな、と思います。上層部ではないのだから、自分が関われる範囲ではないことにまで、自分の責任が問われるというのは理不尽ことであるな、

とは思うし、

その一方で、

自分がコミットできる機会はなかったと目をつむったまま、取り返しのつかないところまで、誰も問題について当事者意識を持たないということは、よくないことだと思います。

断片的ですね、とても。


さて、部署が変わったので、前の部署をはなれる前にいただいた言葉で、刺さったものを書き残しておきます。それにしても、みなさん哲学をもって生きているな、と思ったし、突然あいさつしたのにも関わらず、それなりのクオリティをもった言葉をいただけたことに素直に感動しました。


「がんばらんでいいけど、一生懸命やれよ」

一番僕のことをかまってくださったデザイナーのおっちゃんが、最後に長々とはなしてくれたことで、ちゃんと書きとれて、印象に残ってことばですね。

どう読み取るかすら試されているような気さえするのですが、「無理しすぎることはないけれど、手は抜くなよ」と言われているような気がしました。仕事に対する姿勢というのは、最善を尽くすべきではあるけれども、限界を超えてはいけない。枠を超えてはいけないが、攻める姿勢は保つべき。といった、感覚について述べられていると思います。腑には落ちてはいません。


次に行きたいと思います。


「本は読むのは、誰かの思考をたどることと同じで、その思想に染められるということでもあるからね」

最近、世を騒がせたピケティの本を読んだのですが、丁寧によんではいたのですが、説明がくどいので最後のほうは、流しよみにしました、と、とある制作の方に話したときに、頂いたことばです。

人間は生きているの中で、ある程度、思考の枠をもって生きているのですが、本をよむことは、その人の思考の枠で物を考えるようになるということを意味しています。もう少し書くと、ピケティは経済学の本で、経済学というのはいろんな理論があって、どれが正解か、とは一概には言えないものなので、誰かの意見を取り入れすぎるのは、見方の枠が見えなくなるものが増える可能性があるということです。

それは、知っていたことですが、ハッとさせられたので、自分は何かの思考の枠にとらわれていたのでしょう。


さて、最後。

「若いんやからいろいろ新しいことに挑戦しろっていうけど、年を取っても、むしろ年をとったからこそ新しいことに挑戦せんとあかんと思うけどなあ」

ありがちですよね。若いのだからいろいろ挑戦してください、と。そんなこという奴はあんまりその人自身は、挑戦することをやめているのかもしれません。「挑戦」ということばで言われるほど勇敢である必要はないと思いますが、何かを少しでも改善しよう、良くしよう、という意欲の感じられないおっさんは大したことないな、と思うし、あんなにはなりたくないな。

こういう自分の目の前にある仕事や現実と戦いながら、人は考え、環境に適応した哲学を生み出すのでしょう。

まあ、年をとれば誰だってそれっぽいことは言えますけど、浅はかなので、ことばの力は弱いですね。こんなことを言ってしまいました。負けたくないですね。

こんな人間観察をしている私でした。
人間観察をしてそうな人と話すのってなんだかきもちわるいなって先日思ったので、自分の他人からの見え方ってこんなんだろうなってorz

それじゃあ、そしゃ