本気出して猫背について考えてみた

 どうもです。

 

猫背なんです。

 

僕がかつて小僧の頃からか、どうかはわからないけれど、自分が猫背という自覚はあまりもってなかった。確かに姿勢はあまりよくないとは思ってはいた。が、事態がそこまで深刻だとは、つゆほど知らず、だしほど知らず。


何かにつけて、個人的な事にまで、口を出す上司に猫背を直せと言われて、なんとなく猫背を改善しようと挑戦してみたけれど、そんな簡単に背筋を伸ばせるほど、あなたと僕は真っすぐ向き合えていなかったので、ほどなくして、いつも同じところにたどり着くのであった。

 

猫背の再生産。

歪んだ姿勢、歪んだ心。
姿勢の歪みは心の歪み。


そして、時は流れ、

ふとしたときに、従姉妹の姉ちゃんに、「ぐちをは、猫背だからなあ」と言われた。何気ないひとことであったが、人生のあらゆることが猫背のせいで否定されたような気分になった。

 

おおげさだな。

 

なんか、そのひとことが、妙に引っかかって、月見バーガーを食べたことがないのは、人生半分損をしているように、僕が猫背であることは、人生の半分が損で成り立っているような心地がしたのである。


f:id:tannyday:20170818074319p:plain


よく猫背を直すときに、

「背筋をピンと張るんだ」「胸を張れ」「体をまっすぐに」とか言われる。だが、そもそも、歪んだ姿勢が当たり前になっているのだから、背筋を張っている状態も胸を張ってる状態もわからない。

 

要は、正しい姿勢なんてわかるはずがない。もうこの姿勢は20年は生きてきたのだから今さら直せるはずがない。

そうやって、だだをこねて、屁理屈をいって、猫背のままなのでした。犬派だけど。

だが、ついに、今回は、「猫背 直
し方」「猫背 姿勢」などと画像検索し(Yahoo! JAPANを通じて)、徹底的に、自分の中の猫と対決を決める「ぐちを」であった。

f:id:tannyday:20170818074410p:plain

 


気づいたのは、背筋やら胸やら膝・肩・腰の痛みやら、いろいろあるけれど、根本的な原因は、背骨が曲がっていること。

で、背骨を伸ばすために、

①背筋を引き伸ばす(元が曲がったり、縮んでるから)
②胸をはる
③肩を開く
④尻は腰骨より後ろにする

っていうのが必要だと、気づく。
特に、「尻は腰骨より後ろにする」が一番、大事でした。尻が前に来ることで、反背になって、体歪んでいるってことを知らなかった。

まあ、猫背にもいろんな個人差があるとは思いうのだが、①〜④を一個ずつ「毎日」意識しながら、たとえば、背筋よくなってきたから、胸張るか、とかやっていった。

胸を張るのは、自分が巨乳になったつもりで張るとよいだろう。
「見てみぃ、わいのパイを!」と意識するとよいだろう。

そんなこんなで、
完璧に直したかは謎だが、カラオケで高音が出るようになったのは、なかなかの劇的ビフォーアフター。小田和正もびっくり。


そんなところです。
それでは(所要時間30分)

気になったらやり切らないと、気がすまない気分

どうも。
おはようございます。

最近、けっこういろいろやりたいことを日々、実現できていて、人生は、なんて素晴らしいものなんだなあ、と思っています。

バッティングセンターに行く、テレビゲームをする、TSUTAYAでCDを借りる、髪を切りにいく。

ちっさい話だな、というツッコミの受付は、本日終了しました。


このところ、やりたがりなテンションなんです。あれをしたい、これをしたいと、頭にこびりつくのです。頭残っている感じがとても気持ちわるいので、実行をするという感じです。

やりたいから、やるという前向きな理由よりは、やらないと気持ち悪いから、処理するという理由です。消極的動機による積極的な行動。


まあ、こういう小さな願望は積極的に実現していくのは、いいんですけど、ちょっとその願望が大きくなっていって、なんだろ、例えば、

ベンツのSクラスを買いたくなる(たぶんならない)とか、世界一周旅行をしたい(おそらく三ヶ国ぐらいで日本に帰りたくなる)とか、そういう自分の身の丈に合わない、欲望が大きく育たないか、という不安が少しあります。


今は、何かとやりたがりな気分、テンション、バイオリズムなのです。

 

こういう状態は、だいたい一ヶ月から二ヶ月くらい続きます。その後には、何もしたくない、ひきこもりな気分、テンション、バイオハザードが同じようにやってくる一ヶ月から二ヶ月くらい傾向にあります。ちょっとしたメンタルハザード。

 

またしばらくして、ハイテンションに戻ります。

 

僕はそういう人間なのです。

それでは(所要時間13分)

お盆休みはどう過ごされましたか?

どうも。


お盆休みは、海外で過ごすわけでもなく、乗車率120パーセントの新幹線に乗って実家に帰るわけでもなく、30キロメートルの高速道路の渋滞に巻き込まれるわけでもなく、そもそも実家暮らしなので自宅待機をしておりました。


休み5日に対して、3日予定のない日がありました。それって友達が少ないから?って聞くのは御法度ですよ。

いや、それにしても、休みが多いと逆に疲れます。僕だけの実感だと思ったのですが、昨日、美容師さんもおっしゃってたので、複数の人間が感じることなのです。(暇すぎて髪を切りに行きました)

というのは、だいたい暇だと、海に打ち上げられたクジラのように、ダラダラとテレビなり、YouTubeなり、Amazonプライムなり、なんらかの映像をみて、過ごすものですが、これが意外に疲れるんです。

ただ、映像をみているだけでも、なんか疲れるんですよね。変な姿勢で寝てたりするし。だったら何らかの予定を入れた方がよかったなんて、反省したり。個人的な実感ですが、何もしない休みは二日までは幸せで、三日目の昼ぐらいから暇すぎて、しんどくなってきます。

なんにも予定がないのは、それはそれで、至福の時間ではありました。あれをしなきゃ、ということを何も考えなくてもいいのは、素晴らしいことです。

メインの活動は、オードリーの漫才、サンドウィッチマンのコントというのは普段と変わらないですが、島田紳助の話術を勉強(笑)していました。比喩表現、たとえ話が面白くて、この人はやっぱりすごいな、改めて感心しております。今をときめく不倫を、あんなにライトに語っているのは逆に新鮮でしたね。

バラエティ番組の会話のやり方というのは、僕が現実で向き合う必要のある、人との会話で非常にためになります。やっぱり、テレビ文化の影響を受けている人が多いので、テンションをやや上げながら話すとか、ボケとツッコミの型とか、一定のパターンを使いながら話す人ってけっこういるんですね。


それらを応用しながら、話していると、波長やテンポがだいたいわかってくるので、いくらか自分がコミュニケーション能力が低いことを忘れさせてくれますね。ええ。

そういう視点でみると、芸人というのは、プロなんだなあと、ある意味尊敬の念を覚えるように、この頃はなりました。


そうやって僕のお盆休みは過ぎていくのでありました。動画の見すぎでやや、ドライアイ、目の奥がずーんと重い、早朝でした。

それでは(所要時間22分)

pairsやめました

 

どうも。

 

 その昔、といってもまだ2017年の夜明けごろ、交際相手を探す旅に出た私は、こんな記事を書いていました。

 

wakayama.guchiwo.com

 

マッチングアプリを駆使し、見事交際相手をゲットするという、ドキュメンタリーが始まったのです。

 

あれから、約7ヶ月。みなさんの期待を一手に受けていた私のドキュメンタリーは、開店休業状態でございました。


自分の書く記事の中では比較的、人気のあるシリーズだったのにもかかわらず、です。前回の記事から、十分にフラグは立っていましたが、結局のところ、交際相手と契約を交わすこともできずに、ペアーズからは撤退することになりました。

 

やめました。はい。

 

7月くらいまでは、ダラダラ続けてたり、2週間くらい放置してたり、並行して人に会ってみたり(ごめんなさい)、そんなことをしていました。

 

付き合おうと思えば、付き合える人は、複数人にいました。理想が高いといえばそうだし、本気になる何かが足りなかったといえばそうです。総合的に、容姿やら、職業やら、趣味やら、性格やら、ちょっとばかりちらつく結婚やらを考えて。

 

基本的に、私自身の問題でしょう。ええ。

 

要するに、途中で、めんどくさくなってしまったのです。

 

でも、交際相手を求めていらっしゃる方にはマッチングアプリは、いい手段の一つだな、と勉強になりました。

 

結果として、pairsそのものをやめてしまったんですがね。

 

それからというものの、

 

前から気になっていた人に、それとなく声をかけてそれとなく断られたり、

街コンに参加してみたり、

 tinderやってみたり、

 

 

そんな感じで、充実した季節は過ぎていきました。

 

OL、看護師、保育士、ALTの欧米人、公務員など、いろんな人の話を聞けて、大変、有意義でした。

 

強がりですよ。

 

要するに、

 

なんの成果も得られませんでしたっ‼︎

 

それでは(所要時間30分)

 

 

 

 

 

 

 

 

「和歌山捨てたもんじゃない」へブログタイトル変更

どうも。

お知らせです。

ブログのタイトルの変更です。


「和歌山なんとかしちゃらなあかん」から「和歌山捨てたもんじゃない」へ変更となりました。


すこし、前のタイトルの時と、心境や状況が変わったためです。

「和歌山なんとかしちゃらなあかん」のときは、本当に、なんか和歌山のためにしようと思っていたし、そういう活動を実際やっていたのです。

しかしながら、時の流れに身を任せていると、

イベントを運営するとか、ボランティア活動みたいなことをするというのは、まあ、それはそれで意義があることですが、僕はそういう活動は、しばらくいいや、と思ったのです。

なぜかというと、「和歌山のために、地域のために」というような大義のために、自分が必要以上に責任や負担を背負わされたと感じたことがあったからです。事情があって仕方ない部分はあるにせよ、次もやりたいとは思わえなかったんですね。

そういうことが続いたので、地域活動はしばらくやらないと決めました。そういうことが続いても、地域を想う気持ちがあればやれる、そんな人は素晴らしいと思います。素は曇っている、あるいは大雨な人間なので、要はそんなに性格はよくないので、そういう奉仕的なことできないな、とも思いました。


やっぱり、役に立ったという気持ちや、やりがいや楽しさは欲しいですね。

金銭が発生しなくてもいいけど、時間と労力を捧げるのなら、感情という対価がないと、やりたいという気持ちが起こらないですね。




あとは、小説を書くという、やりたいことをはじめたのも大きいですね。

まあ、いずれにしろ、僕がどうこう言って、和歌山をどうこうするというのは、スケールが大きすぎるので、ちょっとおしゃれなものとか良いものを見つけて、「和歌山捨てたもんじゃない」と県内、事情があって県外にいる人、他県の国民のみなさま、この地球に生きる人々に発信していけたらな、と思います。



和歌山のために何かしたい、という公共的な考え方がやや変わりましたので、ブログタイトル変更という運びとなりました。

それでは(所要時間25分)

この道ずっと行けば、あの町に続いていることに興奮を覚えるタイプ

 

どうも。

 

たいした話ではないのですが、(いつもたいした話ではありませんが)

 

車運転するの、けっこう好きなんですね。特に、3ケタの国道や、県道を走るのが。要するに、細くて、曲がりくねった、不便な道。

 

 

f:id:tannyday:20170813172306j:image

 

何が楽しいかっていうと、

 

一つは、冒険心が満たされること。

 

もう一つは、雑念を払えること。

 

 

冒険心に関していえば、まぁ、その、普段は通らない道を、上の画像みたいなコンクリートがガタガタな道を、車の対抗ができないような、

 

そういう過疎な、秘境な道を通っていると、スリルがあるというか、ワクワクするんですよね。

 

ここで事故ったら死ぬかもしれないなぁ、

よくもまぁ、こんなところに道がありますね、

よくもまぁ、こんなところに住んでますね、

この道、あの道とつながっているのか、

 

とかとか、そういうものにテンションを上げながら、車を運転しているわけなんですよ。

 

多分、普通の車好きとは、タイプが違うでしょうね。どうでしょう?

 

今日の発見としては、なかなか地元の紀の川市を見下ろせる、展望台が、最初が峰というところにあったことですね。

 

f:id:tannyday:20170813205515j:image

 

 

ほとんど、誰も来ていない、人の手の行き届いてなさ、そういうものにまた、価値を見出してしまう自分があるのでした。

 

 

今日はそんなところです。

 

あっ、雑念を払うについて、言うの、忘れてました。(雑な扱い)

 

なんか車を運転していると、運転に集中する分、家でじっとしてると考えてしまつようなこと、

 

つまり「あんな言わなければよかった、こんなことしなけりゃよかった」みたいな、

 

要はたいしたことないのに、3時間くらいずっと頭にこびりつくようなことを考えなくて済むからです。

 

そんなところです。

 

それでは(所要時間18分)

 

お盆の朝の寝床からお届け

 

おはようございます。

 

この文章は、iPhone 7 Plusをつかって書いてます。書いている男は、ベットに横たわりながらフリック入力をしているわけです。

 

想像してみてください。

30歳手前の男が、朝から気だるそうに、シングルベッドの上で、スマホをいじっている姿を。

 

目に悪そうな暴力的な光景が、頭の脳に浮かんだのでないでしょうか。

想像させてすいませんでした。

 

この頃、ブログを意識して、毎日更新しているのですが、だいたい夜の10時から11時かけてやっておりまして、書くことはそれなりに楽しんでいるのは、この文章の中身のなさや発展性のなさから、お分かりいただけると思いますが、

 

どうしても、夏休みの宿題みたいに、その日夜の、だいぶ後半になってしまって、「書かなきゃ」という、やや義務感を自分に背負せながら書いてるのが、なんとも言えないところでありまして、そんなんだったら書かなくていいんじゃないか、と悪魔風の自分が後ろでささやいているわけですが、そこは妙に意地で書いてしまうあたりが根性が悪いところです。

 

やたらと一文が長かったですね。くどい。

 

さて、今日は小学校の同窓会。

目覚める前、夢に女の子が出てきたのです。しかも今日会うんですよ。その当時、ちょっと少し気になってたんですが。今日の今日まで忘れてたんですが。

 

今日は、やたらと、意識をしながら、1日を、過ごすことになりそうです。そんな感じで、誰かが生きたかった今日という1日を、ほとんど寝床の上で暮らしているお話でした。

 

それでは